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魂に至る休み
ロウバイ

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」 マタイ 11章28~30節
担当:佐川直実 牧師 

1、 重荷をイエス様に持っていく(28)
 律法の厳しい社会に生まれ育ち、律法を守るのに疲れ果てた人々に向かって「わたしのもとにきなさい」とイエス様は語られました。安息日は本来、神様も前にくつろいで楽しんで元気になる日。しかし、「こうでなければならない」と自由を失っていました。このように重荷とは、負いきれないような荷物を、他人から押しつけられ、ずっと背負わされているような状態です。私達が生まれ育った家庭環境や社会環境、人間関係の中に、このようなずっと負わされてきた重荷、身につけてきた重荷はないでしょうか?「もうしんどいです」かっこつけず、重荷を自覚して、イエス様のもとに持っていきましょう。
2、 イエス様とくびきを負う(29、ガラテヤ5:1)
 重荷をおろすだけでは十分ではありません。なぜなら、長い間重荷を負っていたために、知らず知らずのうちに、ものの見方や感じ方、行動に「歪み」が生じているからです。イエス様はその歪みまでも癒したい。「イエス様のくびきを負う」とは、イエス様のものの見方や感じ方や行動に学ぶことです。「奴隷のくびき」(ガラテヤ5:1)と反対で、自由と愛とゆるしをもたらすものです。歪んだ自分を恥ずかしがらずに隠さないで、力を抜いて、がんばりを置いて、イエス様に学ぶ。どんな歪みがあるかを教えられ、歪みから解放されていきます。
3、 イエス様と軽い荷を引く(30)
 くびきは仕事の道具です。道具は使いこなす人にとっては自分の手足のようなもの。イエス様のくびきに慣れてくると、今度は仕事ができるようになります。しかも一人で仕事をするのではなくイエス様と一緒です。イエス様は単なる休み以上のものをくださいます。



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