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神の御顔
寒椿

どうか、神がわれらをあわれみ、われらを祝福し、そのみ顔をわれらの上に照らされるように。 詩篇67篇1~3節

担当:佐川直実 牧師 

神様の御顔が私達の上に照らされる時、私達は神様の輝きを反射させ、神様の栄光をあらわす存在となります(1)。神様の栄光をあらわすとは、神様の臨在(神様が共にいて下さるということ)をあらわすということです。それは、神様の愛をこの世の人々にあらわし、神様の祝福を流していく存在となるということです(2-3)。
ところで、神様はどんな表情で私達を見ておられるのでしょうか?私達がたとえ神様を見失うことがあったとしても、神様の側で私達を見失ってしまったり、見放してしまうことはありません。しかし、私達の側で覆いがかかり、神様の御顔、その愛のまなざしを見失ってしまうことがあります。覆いとなるものとは一体何でしょうか?
1、 罪責感が神の御顔を見せなくする
 悪いことをした子供は、親を真っ直ぐに見ることが出来ません。自分が悪いことをしたことを知っているからです。私達も罪を犯す時、神様を真っ直ぐに見ることが出来ません。しかしそのような私達を、神様は愛のまなざしで見つめて下さるのです。それは、十字架を前にイエス様をうらぎったペテロを見て分かります。私達はどんなに失敗してしまってもゆるしてくださり、やり直させて下さる神様に愛されています。イエス様の十字架のゆえに、大胆に神様の御顔を見上げましょう。
2、 高慢が神の御顔を見せなくする
 小さい子供は自分の思い通りに親が動かない時に、ぷいっと横を向くことがあります。私達も、祈りが自分の思い通りに応えられない時など、このように神様よりも上に立って苛立つことがあります。高慢も神様の御顔を見せなくする覆いとなります。しかし、そのように私達が神様を退け離れようとしても、神様はそこにおられます(詩篇139篇)。「陰府」とは神様から見捨てられたと言われる場所ですが、なんと、そこにも神様はおられます。ですから、この愛なるお方の御顔を慕い求めましょう。

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