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愛はすべてのとがをおおう
コスモス

「セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向き歩み寄って、父の裸をおおい、顔をそむけ て父の裸を見なかった。」 創世記9章18~23節
「憎しみは争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。」 箴言10章12節
「あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と呼ぶようになる。」イザヤ58章12節


担当:佐川 直実 牧師 

 2017年 9月 3日(日)  主日礼拝
 人はだれでも、他の人に知られたくない弱さや失敗、罪を持っています。だれもが普段はそれを持っていることを知られないように隠したり、知らないふりをしたりして表面を取り繕っていますが、弱さを覚える時は自分自身を取り繕う余裕も持てず、外にあらわれてしまうことがあります。
 ノアもその一人でした。ぶどう酒を飲んで酔い、裸でいる所を息子であるハムに目撃されてしまいました。ハムはノアの弱さ、破れ口を見た時に、自分自身にも破れ口があることには目を向けず、父親の破れを他の兄弟たちに伝え、父親の破れ口を広げるような行為をしてしまいました。「人の悪口は蜜のように甘い」という罠でした。しかし、それをきいたセムとヤペテは父親の破れを見て蔑むのではなく、その破れをおおうという愛の選択をしました。
 私達はこの世界や人々に破れが見える時、どう反応しているでしょうか。ある宣教師は、「それはあなたの仕事だ」と言いました。「神があなたに破れを見させたのは、その破れ口を非難し蔑んで、大きくするためではなく、その破れ口に立ち、繕うためだ。」
 私達は愛でおおわれなければ生きることが出来ません。弱さのない人はいません。弱さを責めるならばきりがありません。そこには解決はありません。しかし、愛はすべてのとがをおおい、人を建てあげます。神様こそ愛なるお方です。まさに神の御子イエス・キリストは私達のすべてのとがをおおってくださるために、私達の身代わりに十字架についてくださったのです。イエス様は、私達のすべてのとが、恥ずかしいと思える罪や過去を十字架の贖いによっておおうために死に、その死によって私達も古い自分に死にました。そしてイエス様の復活によって私達は完全に愛におおわれた新しい命をいただいているのです(ガラテヤ2:19-20)。
 すべてのとがをイエス様によっておおわれていることを感謝しようではありませんか。そして、主の恵みによって私達も喜んで破れ口に立ち、繕う者、ゆるす者とならせていただきましょう。(イザヤ58:12)
 「主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい」(コロサイ3:13) 

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