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あなたの道は、神に喜ばれている
青空

主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。              ルカによる福音書10章38~42節

担当:佐川 直実 牧師 

 2017年 8月 13日(日)  主日礼拝
「無くてならぬもの」

   日本人の中には、忙しくすることに価値を置く人が少なくないと言われています。暇をもてあますことに罪悪感すら感じる人もいます。自分の頑張りや勤勉さ、忙しく働きまわること。クリスチャンですと聖書を頑張って読んだり、奉仕を頑張ったり、長い間祈ったり、それら宗教的な活動に勤勉な人は、自分の行いによって、神様の好意を得ることができると勘違いしてしまうこともあります。これは、日本の文化の中にある間違った美徳、また間違った謙遜から来ています。忙しい人生は、充実している、多忙な生き方は=勤勉さ=美徳という嘘です。
 多くの人は、このことによって不必要な責任感に縛られています。神様が必要としているのは、働き人よりも、愛しい者、愛する対象となる人々です。クリスチャンの中には、宗教的に一生懸命祈ること、勤勉に聖書を読むこと、真面目に集会に出席すること、献金することによって、神様を喜ばせ、神様の好意を得ることができると本気で信じている人がたくさんいます。しかし、聖書によると、この様な行動によって神様の好意を得るのではなく、私たちはすでに、イエス様の十字架によって、神様の最高の好意をいただいて、神様の心のただ中に置かれています。(エペソ2:4-10)
 忙しさの中、主の声を聞くことを忘れていませんか?バタバタしている毎日の中、イエス様の足もとに座ることを忘れていませんか?主は、私たちの生け贄や行動ではなく、私たちが耳を傾けること、私たちが聞き従うことを求めておられます。(サムエル上15:22) つまり、関係です。親子の関係です。その足元に座り、その声に聞くことです。会話です。何でもいいので、主に相談することです。その会話の中、聖書を読んだり長く祈るよう導かれる時もあるかもしれません。祈るのをやめ、その時間に奥さんとデートしたり、子供と時間を過ごすように導かれるかもしれません。聖書を置き、人と時間を過ごすように導かれるかもしれません。ワンパターンではありません。関係ですから。関係は常に成長して変わっていきます。
 この神様との関係こそ、私たちにとって実は忙しくする以上に大切で、無くてならぬものであるとイエス様は語られました。

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