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人のねうち
みずばしょう

 あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない。
ルカによる福音書7章9節
担当:金井 信生 牧師

 しもべのいやしを願ってきたローマの百卒長について、ユダヤの長老たちは「そうしていただくねうちがある」と推薦します。しかし主がしもべをいやされたのは、その推薦によるものではありませんでした。
1.長老たちの願い
 「ねうちがある」は「ふさわしい、資格がある」とも訳されます。長老たちがそう言ったのは、百卒長が自分たちを愛し、会堂を建ててくれたからです。つまり百卒長の行いを見て評価し、また自分たちがイエス様の働きについて良否を判断できると思っているのです。
2.百卒長の謙遜と信頼
 長老たちの評価によらず、百卒長は、イエス様を自分の家に入れる資格はないとし、「ただ、お言葉をください」と願いました。
 百卒長がユダヤ人を愛したのは、分け隔てのない神様の愛(アガペー)を知って、応えようとしたからです。神様に何かをすることによって喜ばれようとする打算的な思いではありません。
 イエス様を迎えに出るねうちすらないとへりくだりつつ、主のあわれみと力に信頼し委ねていったところに、主のみわざが働きました。
3.感心されたイエス様
 自分の言葉に百人の部下それぞれが完全に従うのであれば、神であるイエス様の言葉によって、目に見えるものも見えないものも従わないはずがないと言う百卒長の信仰に、イエス様は非常に感心され、僕はいやされました。
 神様の愛と祝福は世界に満ちていますが、神様に従わない罪のために損なわれているのです。ユダヤの長老たちは、神様を敬っているつもりでしたが、自分たちの思いに従っていました。
 何かをすることで神様に喜ばれようとか、神様に代わって自分が評価することはありません。神様の前にへりくだり、神様の愛に信頼して委ね、従っていく人を、イエス様は今も感心し、喜んで祝福してくださいます。
 

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