前のページへ戻る
イエスはよみがえられた
ばら

驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。
聖 書  マルコによる福音書16章1~8節
担当:イースター礼拝      佐川 直美 牧師

 今日は、イエス・キリストの復活を記念するイースターです。主の十字架の死と復活はわたしたちにとって大きな慰めであり希望です。弟子たちは主が十字架に架かられた時、戸惑いあわてましたが、やがて十字架は終わりではなく始まりであることに気が付き、喜びに溢れていきます。イエス・キリストはわたしたちに、生きることと死ぬことの意味、そして神様により頼むことによって与えられる神の平安を教えてくれました。生きることは時に苦しく辛いものです。けれども、その苦しみがあるからこそ神に近づき、神を信じてより頼むからこそ自由と大きな喜びを得ることができるのです。
 イエス・キリストはわたしたちに、神はわたしたちの罪を赦し、病を癒し、たとい死んでも生き返らせることができることを、その手のわざを通して教えてくださいました。それだけではなく罪を犯されなかったイエス・キリストが十字架の苦しみを味わってくださり、罪に死ぬべきわたしたちを生きるようにしてくださったのです。
 すなわち、十字架上の犯罪人には「あなたは今日、わたしと一緒にパラダイスにいる」と声をかけ、イエスをののしりあざける人々に向かっては、「父よ彼らをお赦しください、彼らは何をしているかわからずにいるのです」と執り成されました。
 どんなにがんばっても、わたしたちは弱く、すぐに罪を犯してしまいます。けれども主の十字架と復活の事実は、わたしたちの罪が赦され、わたしたちの弱さの中に神が働いてくださることの揺るぐことのない約束なのです。しかもその神を信じることによって平安が与えられ、心から神を喜ぶことができるようにしてくださるのです。あなたも主の十字架を見上げて重荷と思い煩いを委ね、神の平安と喜びに満たされようではありませんか。

前のページへ戻る
  © 2015 Tanagura Church. All rights reserved.
  [このホームページの制作は、コムハートが担当させて頂きました。]